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SPORTS  /  2020.09.26

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競走馬が最後まで活躍出来る場所へ

こんにちは!
馬事文化応援アイドル・桜花のキセキ 一瀬恵菜です。
秋競馬の季節に突入してきましたね。

本日は埼玉県ときがわ町で20年近く、地域の方々や訪れる人々にとって心が温かくなる場所として存在する養老牧場「ときがわホースケアガーデン」。
こちらの代表・鈴木詠介さんにインタビューをさせていただきました。
是非ご覧ください!

ときがわホースケアガーデンとは?

競走馬や乗馬を引退した子が生きている場所。
いわゆる”余生”のことなのかもしれません。

しかし、代表の鈴木さんは「余生を過ごす場所ではあるけれど、”余生”という言葉はあまり好きではない」と話されることには、理由がありました。

”馬が最後まで活躍できる場所”として存在していたい。お馬さん自身が”仕事ができる”ようでありたい。

普通に暮らしていて、最後までみんなに愛されてそこにいることが、馬にとっても幸せなことではないかと仰っていました。

ときがわ町は「木の町」

地域との関わりにおいて、ときがわ町は木の町として有名です。
建具を作る際に出るおがくずが、馬たちの馬房で敷き藁になり、ボロをすることで堆肥となったものが、有機農家さんへ渡ります。

地域の循環役として馬が役に立っていて、そういう点でも町との関わりに大切な存在となっているそうです。
とても自然な形で、林業と農業の間を馬たちが繋いでいます。

ときがわ町に20年ほどある中で、地域の方にとっては”ここでは普通にお馬さんが暮らしていること”が浸透していて、馬に会うことが自然に溶け込んでいるとお話し頂きました。

最近では、近所の男の子がここで馬を好きになって、騎手になるための試験を受験されたんだそう!
いろんな方のきっかけになっている場所ですね。

鈴木さん自身の願いとしては「いろんな人に馬を好きになってもらいたい!」という思いがあるそうです。
たとえ馬に関わるお仕事じゃなくても、心の何処かに馬の存在があるようなきっかけを作っていけたらいいなぁと仰っていました。

競馬も画面越しで見る中で、馬が生きていることは分かるけど、どうしてもリアルには伝わってこない部分があります。
でも実際に馬に触れて、体温や呼吸を体感すると、競馬ももうひと段階深まるのではないかと話してくださいました。

鈴木さんの馬との出会い

埼玉県新座市で生まれ育った鈴木さん。
ご家族も競馬や馬関係者ではない中、中学生の時にゲーム『ダービースタリオン』で遊んだことをきっかけに、リアルに競馬も見てみたい!と感じられました。
日本ダービーでナリタブライアンの沈むようなフォームを見て、一気に夢中になられたのだそう。

このお仕事に就くまでのきっかけは、ウィナーズサークルに馬がいた際に、一頭の馬に対して関われる関係者でありたい。どんなレースでもあの場所に入ってみたいと強く思われたんだそうです。

身長の関係で騎手の道は難しく、どうやったら馬に関われるのか。
周りに興味のある方もいなく、今のように簡単に検索もできなかったので困った時期がありました。

そんな時に出会ったのが、ゆうきまさみさん作『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』という漫画で、それを読んで「牧場、いいな!」と決意。
静内のハローワークからある牧場の面接を受けて見事合格。高校卒業後に北海道へ渡り、働くことになられたそうです。

実際に働いてみると、心が折れそうになることもたくさん訪れる日々。
生き物を扱うのはこういうことかと痛感されることも多く、馬自身に何かあった際には寝ずに対応しなければいけないのは、正直辛いと感じることもあったのだそうです。

しかし、携わった馬が1つでも勝利した際には「これだね」と全てが喜びに変わっていく瞬間でした。

牧場にいながら映像でレースをチェックする日もありつつ、実際に札幌競馬場、門別競馬場に足を運ばれたことも。
夢の口取り撮影も体験され、多くの方に感謝が溢れる瞬間だったと教えてくださいました。

生産馬がデビューのために、次の段階へ進む時はどんなお気持ちなのかお聞きすると、「よし行ってこい!」と心から送り出せる気持ちだったそうです。
すぐに次のシーズンがやってくることもあり、送り出せたらひとまず安心という忙しい日々を過ごされていました。

北海道の牧場で約20年近くお仕事をされ、どんなきっかけで埼玉県ときがわ町へやってきたのでしょうか。

ときがわホースケアガーデンへのきっかけ

北海道でご結婚をされて、子育てもされていた中、ご家庭の都合もあり、鈴木さんのご実家も近い埼玉県に拠点を移されることに。
鈴木さん自身も馬の仕事から離れようと思い、別のお仕事も始められていました。

しかし、馬に会えない日々から鈴木さん自身が馬不足になってしまい、周辺の乗馬クラブも訪れつつ、色々調べていたところ、ときがわホースケアガーデンを発見し、お客さんとして訪れたことが始まりでした。

その頃、たまたまときがわホースケアガーデンでは人手が足りていない状況で「手伝って欲しい」というお声から、ちょこちょこお手伝いに伺うようになったんだそうです。

しかし、ある日鈴木さんがお手伝いをする中で、当時の代表の方がお身体を壊されてしまいました。

「馬のことをやれるのは誰だ…?」そうなった際に、たまたまお手伝いをしていた鈴木さんが引き受けることとなり、現在のときがわホースケアガーデンが始まりました。

やられていた別のお仕事の関係で、1年間は週末のみときがわホースケアガーデンへ来てお仕事をされていたそうです。
そのため、その1年間は三頭いた馬たちをボランティアでお世話をされていました。

育成牧場時代の経験から馬たちの状態や不調がよくわかったため、まずは馬たちの環境をより良くすべく、放牧地等を作る大改修が始まりました。

育成牧場から養老牧場へ

鈴木さんは、「育成牧場は一番最初のところで、ここ(ときがわホースケアガーデン)は一番最後のところ。そこの違いはやはり大きい」とお話しして下さいました。

北海道にいた際は、競走馬になるためのトレーニングや調教を行って、レースのためにどう調整していくかという日々。
しかし今は、今日をどう乗り切ろうか、もちろん明日のことも大切にしているけど、どうやったら馬たちがちゃんと幸せな1日を過ごせるかを考える日々だそうです。

以前、鈴木さんはイヤリング(1歳馬のこと)を担当されていて、セリまでの準備や、結果を受け止める中で印象的な思い出が多いと教えて下さいました。
その当時”引退馬”について考えることはありましたか?とお聞きすると…

「基本的に牝馬はお母さんになる為に牧場に戻ってくるので、競走馬を引退したと考えることはありました。しかしあの馬はどうしてるかなと心の中では思っていても、思うだけで考えられていない期間も正直ありました」と話してくださいました。

現在引退馬と過ごされている中で、少しずつですが、引退馬支援の活動は広がって来ていると実感されることも増えたそうです。

ときがわホースケアガーデンのお馬さんはどう過ごしている?

朝の5時から順番に放牧をしながら、馬房掃除をしてお馬さんたちはのんびりタイム。
午後からはお馬さんに合わせて、速歩程度の運動を調馬柵でしていきます。

年齢を重ねた子たちを手がける中で、運動は大切だと実感されることが多いそうです。
毎日お馬さんと相談して、放牧時は馬同士の相性なども考えられているのだそう。

「うちにいる子も、ここにいない子も”居れる場所”があったほうがいい」と鈴木さんは話します。
たとえば気性が荒めのお馬さんはレースでも難しい部分があり、中央引退後に地方競馬へ進んでも難しく、乗馬も難しい…。
でも、絶対にその子に”得意なこと”があるはずだと。

北海道にいた頃、生産したお馬さんたちの就職先は競走馬しかなく、そして携わる人々はそのために力を尽くしていました。

でも、セカンドキャリア、サードキャリアと広げていけば、その就職先はもう少し広げることができるんじゃないかと考えるようになりました。
もっと馬と関わったり、海外で例えるとポロのような、日本らしい文化を取り入れた馬との関わり方も素敵だなぁとお話しして下さいました。

馬が活躍する場所や方法はもっと色々あるはずなので、「馬はすごいんだ」というのを知って欲しいです!

ジュピターというお馬さん

様々なバックグラウンドを持つお馬さんがここで過ごされていますが、ある一頭をご紹介頂きました。

ジュピター(競走馬名ミホシドニー)です。
競走馬として中央で三勝をあげ、現在22歳。

ジュピターはここへ来る前に、乗馬クラブで現在のオーナーさんと出会いました。
しかし6〜7年前のある日、馬房で立てなくなり、骨盤骨折をしていることが判明しました。
普通なら処分されてしまうことがほとんどの重度の怪我でしたが、オーナーさんがなんとかジュピターの生きていける場所を探した結果、ときがわホースケアガーデンへたどり着いたんだそうです。

馬房はジュピターのために少し広めに設計されています。ジュピター自身、自分が寝転んだら起き上がれないことを理解していて、寝転ぼうとはしないのだそうです。
そのため馬房の両端には、寄りかかれるようにお布団のようなものが設置されていました。

私自身も初めて訪れたときに、後ろからそっと見守ってくれているような温かい眼差しと、悩みを相談したくなるような優しい表情をしたジュピターに魅力を感じていました。
やはり訪れる方々も、私と同じ気持ちになられる方が多いそうです。

鈴木さんはジュピターのそういう姿を見て、この子の立派なお仕事になっている。走り回れないけど一生懸命に生きていて、ただ余生を過ごしているだけではなく、誰かに自然と癒しを与えたりする存在。そういう馬の生き方はいいなと感じられたそうです。

新型コロナウイルスによる自粛期間中には訪れる方もいなかったため、馬たちの表情もなんだかいつもより元気がないように見えたそうです。

やはり触れ合う中で、人間が嬉しかったり喜びを感じたりしているときに、馬もそれを感じとり、幸せになれているのだと改めて思われたとのことでした。

オーナーさんとジュピターも長いお付き合いとなっていて、こうして今もお仕事を続けられる環境でジュピターは生きています。
鈴木さんも生産者の方の立場で考えたら、すごく嬉しいことだと思うと話されていました。

鈴木さんにとって馬とは

「馬とは私の人生そのものです!」と言いたいところではありますが、私にとっては"普通"です。生活の中にいる普通で当たり前の存在。いないと違和感を感じるかもしれません。馬がいるから私がいると思えます。
今後も馬と共に過ごしていくことが、自分の生きる意味でもあるのかなと思います。

人と同じで、馬にも個性がたくさんあって、今でもわからないことや興味が湧いてくるので何年携わっても面白いです。

馬の良さをこちらは発信していきたいけど、全員が全員じゃなくても、少しでも「馬っていいな」と思って頂いたり、競馬を見る中で"この子たちの先"を少し考えるだけでも、色々変わってくるんじゃないかなと思います。
競馬ももちろん楽しんで頂いて、ちょっとだけ考えを広げて頂けたら嬉しいです。

と、このように話して下さいました。

”一頭一頭に思いがある”私が感じたこと

今回、様々なご縁からこちらを取材させて頂きましたが、こうして家族の元出資馬であり、思い出のたくさんあるブリちゃんの表情を見て、新たに考えるようになったことがあります。

それは、競走馬に生まれた彼らの選択肢は、引退後はさらに広がる可能性があるということです。

代表の鈴木さん、オーナーの井口さんのお話を聞き、実際にブリちゃんに触れた時に、私の心では動かされるものがたくさんありました。
癒し、元気をもらえるのもそうなんですが、ご飯を食べる、歩く、水を飲む、風を感じてみる。こうした普段の生活での”当たり前”の大切さも教えてくれる存在だと気がつきました。

お馬さんに触れるだけで笑顔になったり、いろんなことに気がつく。これは立派な彼らのお仕事で、私の日常さえも輝かせてくれます。

これまでも桜花の活動では、引退馬に触れ合う機会をいただくことがありました。
しかし、思いはもちろんあっても、自分の中では正直まだゆるっとした考えがあったのかもしれません。

ブリちゃんとこうして再会し、ときがわホースケアガーデンさんを知って、私がブリちゃんを思うように、ある一頭を思って接していた人、関わっていた人がいることを改めて考えて、一頭一頭と接していたいと強く感じました。

私自身まだまだ本当に未熟で、現実的に色々考えるべきことも必要かもしれませんが、セカンド、サードとお馬さんの仕事は、乗馬ももちろん、他にもきっとたくさんあって。取材をする上で多くのことを教えて頂いたような気がします。

その何かを見つけて発信して、学ばせて頂きながら、一頭でも多くのお馬さんを思えたらいいなぁと思いました。

今後ともメンバー、運営さん一同で、お馬さんのことをより考えられるグループになりたいです。

ときがわホースケアガーデンでは、様々なバックグラウンドを持ったお馬さんたちが、この場所で個性を活かしながらそれぞれのお仕事をして暮らしています。
皆様も、今回はご紹介できなかった他のお馬さんにも、是非会いに行ってみてはいかがでしょうか。

この度は代表の鈴木さんにたくさんお話を伺わせて頂き、本当にありがとうございました。
貴重なお話をたくさん伺ったので、是非動画でもご覧ください!

これからも、ときがわホースケアガーデンの仲間たちが元気でいられますように!

    一瀬恵菜

    馬事文化応援アイドル「桜花のキセキ」メンバーとして、2018年5月より活動開始。
    競馬場やウインズにて、ライブイベントやトークショー、予想番組等に多数出演。
    競馬好きの家庭に生まれたこともあり、幼少期から競馬に慣れ親しむ、桜花のキセキ一の競馬通。
    2019年5月に立ち上げられた、馬事メディア「HORSE CULTURE LOVERS」では、
    取材等も自ら行って記事を寄稿するなど、馬事文化を広めるための広報活動も積極的に行っている。